修身教授録の感想文(8/4出題分)

◎T・Y(中3)

実際われわれの一生は、ある意味からは、自分という一人の人間の、いわば面作りのようなもので、われわれは一生かかって、この自分の「顔」という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えましょう。と森信三先生は記している。

私は一生といえば、経験をしたり、色々な所に行くことが思い浮かぶ。だが、森信三先生は人の一生とは自分の面を仕上げることだとおっしゃるのだ。私には最初、何をおっしゃっているのか理解できなかった。だが、一つだけ浮かんだ予想がある。人は、よく感情は顔に出ると言う。確かに、一緒に居る人が楽しいのか、退屈に思っているのか、私達は自然に相手の顔を見て、判断をしているのではないだろうか。顔に出る事は、良い事でもあるが、時に悪い印象を与える事もあるだろう。したがって、森信三先生は自分の感情を大切にし、一人に一つしかない面を、仕上げていくことが、人の一生だと考えるのではないか。

◎N・K(中3)

人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となる、と自分が躬をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる、と森先生は記している。

私はこの二文を読み、日常生活、私からしたら特に学問と深く関わりあっていると思った。学校の先生はこう言う。「理科と社会のワークはわからなければ答えを写すだけでいいから。」私はなぜこのような事を言うのか分からない。もちろん、提出日に間に合わせるというのも大事だとは思う。しかし、私は森先生のおっしゃるように学問の場合は、間違いに気付き、自ら克服した内容のみが、自分の知識として身に付いていくのだと思う。ただ答えを何も苦労せず覚えようとしたところで自ら導き出し理解したわけではないので意味がないと思う。私はこの二文を読み、今まで無駄な時間を使っていたと後悔することができた。今後は楽を少しでもしようとせず、自分のために学問に励もうと思う。

◎W・H(中3)

そもそも人間というものは、自分の欠点に気付き出した時、ある意味では、すでにその欠点を越えようとしつつあるといってもよいでしょう。森先生はこのようにおっしゃっている。私が思うに、人が自分の欠点に気付くということが、その欠点の改善の第一歩であり、行為の是非に関わらず、重要なことなのだという意味だろう。

私も同意見である。欠点を越えられるのならば、最も良いが、改善の可不可ではなく、まずは自分の欠点に気付き、知ることが大切だと思うからだ。私はこの前、「私の弱みは打ち込みすぎることです。」と作文に書いた。今、改善されたわけではないが、あの作文を書く上で欠点について考え直すことができた。そして今、勉強に部活にと重なる事柄を進める上で、「一つの事だけに集中して、他の事を疎かにしないようにしよう。」という意識をもって行動するようになった。今後も、そのような欠点に自ら気付けるようになりたいものだ。

◎H・K(高3)

第二十一講の中で森先生は、「われわれは一生かかって、この自分の顔という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えましょう。」の文を取り上げた。これは何を言いたいかというと、自分の顔は生涯をかけてしだいに完成していくと言っている。

私もこの文を読んで確かにそうだなと感じた。例えば真剣に取り組んでいる人の顔を見ていると、自分を更に成長させることができると思った。逆に何もしないで指示を待つような人間は、自分を更に成長させられないだろう。そして私には将来の夢がある。その仕事は人と関わる職業だが、ただ話を交わすだけでは仕事にならない。顔という唯一つの面を上手く使わなければいけない。ただ笑顔や真剣な顔をするのではなく、その時にあった表情で接することが大切だ。このようにすることで自分の顔が、しだいに仕上がっていくと思う。まだ自分の顔は完成していないが生涯をかけて完成するのを楽しみにしたい。

◎A・Y(高2)

そもそも人間というものは、自分の欠点に気付き出した時、ある意味では、すでにその欠点を越えようとしつつあるといってもよいでしょう。これは森信三先生がのべられた言葉の一つである。

私は欠点を恥ずかしいものだと考えていたが、森信三先生は欠点に気付き出した時、すでに欠点を越えようとしつつあると考えていた。そのことに私は驚いた。私は考えるより先に行動して後悔をすることがよくある。何度も後悔しているはずなのに、頭では分かっていても、いざとなるとやはり体が動いてしまう。そういうところが私の欠点の一つだと思う。しかし、森信三先生のお言葉で、私は自分自身の欠点を越えようとしているのだなと思うことが出来た。このお言葉は、自分の考えとは全く異なる考え方だったので、心に響いた。また、私はこれから自分の欠点に気付いても、このお言葉が心の底にあるので、落ち込むことはないだろう。

◎A・R(中3)

第二十六講の中で先生は、日常生活を充実したものにするとは、一体何なのかと言えば、これを最も手近な点から言えば、結局自己のなすべき仕事を、少しの隙間もおかずに、着々と次から次へと処理して行くことだと言ってもよいでしょう。とおっしゃっている。

私は、この文を読んだ時、心臓に針が刺さったのではないか、というほどグサッときた。とても自分に言われているように感じた。昨年の今頃、私はテニスに集中したくて、空いている時間は全てテニスに回してきた。親に勉強をしなさいと言われても、テニスを言い訳にし、勉強を疎かにしてきた。そのせいで学習面では結果を残すことが出来ず、夏期講習では毎回再テスト、意味も無い百回練習など、その時にしていれば良かったことを行わなかった為、自分で自分の首を絞めていた。今思うと、とても後悔している。この後悔をバネに、今年は昨年の分まで挽回していきたい。

→「心臓に針が刺さったのではないか、というほどグサッときた」・・・上手い。